テ・アモ(Te Amo)第2章
エリカとは、大学に入学した頃からの付き合いになる。とは言っても、彼女は学生ではない。無断でキャンパスに入り込み、南棟の前の欅の下で、落ち葉にまみれて、ギターを抱えて歌っていたのだ。小麦色の肌と琥珀がかった瞳のせいでハーフに見えたが、後に、実際は四分の三は日本人だと、わけのわからない説明をしていた。真っ直ぐの黒髪を腰まで伸ばしていて、ほとんど化粧もしない。一年中カーゴパンツを履く主義は、あくまでも日本の流行を無視している。
それでもエリカは綺麗だった。
特に歌う時の彼女は、眉をしかめて、凄みのある美しさだった。歌は、スペイン語の歯が浮くようなバラードに、たまに日本語のオリジナルらしい曲が混じる。
「大学には変な人がいるんだなあ」と凡庸な感想を持ちながら、三限目のスペイン語の授業を終えて暇だった私は数人に混じって、ある日、壁にもたれて聞いていた。Amor -- 愛が届かない、という内容の、やたらと繰り返しの多い曲だった。
数人がパチパチと手を叩くと、まるでお花畑にウサギを見かけた少女のように、にっこりと笑った。
「Gracias. 最後まで聞いてくれて、ありがとう」
「今のは、自分で作ったの?」と聞いていた男子学生の一人が聞いた。
「そう、オレのオリジナル。なに、気に入ってくれた?」
自分のことを「オレ」と言う呼び方と、雰囲気と全く合わないぞんざいなしゃべり方に気押されたのか、その学生が曖昧な笑みを浮かべて、後ずさった。
壁から体を浮かせて、気になっていたことを聞いてみた。
「あの、なんで、スペイン語の歌ばかり歌ってるんですか。」
「オレ、もともと日系ペルー人だから」
ペルーと聞いて、懐かしい感じがした。私は行ったことはないけれど、若い頃マチュピチュに惚れ込んだらしい母の弟が、ペルーに永住して、ツアーガイドをやっている。あんまり連絡はないけど、親戚で集まると、必ず噂話が出る。
そう告げると、
「へえ。どこ?」
「えーと、チチカカ湖の近くの町だった。名前まで覚えてないけど」
「お前は?途中、口パクしてたぞ。南米に行ったことあるのか?」
「あ、行ったことはないけど、一応スペイン語専攻だし。まだ全然だけど」
それだけリフレインすれば、たとえスペイン語が一言もわからなくても一緒に歌えるだろう、とは言わなかった。周りを見回すと、ほかの学生たちが、ばらばらに正門の方へと歩き去るところだった。彼女は、子犬みたいな目でじーっと私を見つめると、座っていた花壇からバネ仕掛けのように飛び上がった。
右手を差し出した。
「ワタナベ・エリカ。よろしく」
「あ、どうも。えーと、塚本奈津江です」
「メシ、食わない?」さっさとギターをしまいながら、「この近くに、美味しいスペイン料理を食わせるところがあるんだ。綺麗なとこじゃないけどさ。ボリビアの話でもしよう」
(次回へ続く)
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